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どぜう往来九号[昭和六十年六月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七

どぜう往来九号[昭和六十年六月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七_f0193357_14333965.jpg第九話 「夏の風物詩・隅田川花火大会」

「夏の印象を…」と人から尋ねられたら、まず何を想像するだろうか。それは、その人の育った環境・年代により当然異なるでしょう。私ならばさしずめ、打ち水、ゆかた、うちわ、縁台、よしず…などを想い起こすが、現代ッ子はこれを見てキョトンとするかもしれない。そういうイメージが日本の夏から遠ざかってしまったのは仕方のないことだが、少し淋しい気もします。

しかし、老若男女を問わず、今でも共通して日本人の心にある夏の行事といえば、お盆などの他に、各地で行われる花火大会があげられます。私が毎年、額に汗する頃になると、決まって思い出すのが隅田川の花火大会です。昨年(昭和五十九年)の夏は、雨模様のすっきりしない天気だったのにもかかわらず、75万人もの見物客が集まって、夏の夜空を彩る1万7500発の江戸花火の美しさに、しばし酔いしれたのでした。

今から202年前(享保十八年)に、両国の川開きの余興と疫病払いの願いを込めて始まったこの花火大会も、隅田川の流れとともに様変りしつつあるのは、やはり時代の趨勢ということでしょうか。昔の花火大会は、広重の「名所江戸百景」などにも描かれているように、たいへん情趣があって見物人から「鍵屋〜」、「玉屋〜」と威勢のいい声がかかったであろうことを彷彿させます。

私が子供の頃は、店のほかに厩橋の際に家族の住まいがあって、家の中にいても花火がよく見えました。その頃の花火大会も、柳橋の料亭がスポンサーになって相当に派手なものでした。大掛かりな仕掛け花火などを競い合い、その絢爛豪華さは息を飲むほどに鮮やかで、今でもそのきらびやかな色彩を脳裏に再現することができるほどです。
ところで、気のせいかもしれませんが、昔の花火は現代の花火と比べて、採光を放つ時間(寿命)が長かったように感じるが、どうだろう。最近の花火はやたらと音だけが大きいように思えてならないのだが、有識者のご意見を伺ってみたいものです。

音といえば「ドン」と鳴るのとほとんど同時に紙人形が飛び出してくる打上玩具花火を思い出します。子供の頃、私はその紙人形がとても欲しくて、家から物干竿を持ち出してよく追いかけたものでした。同じように竹竿を持った数人の仲間も夢中で追いかけます。(昔は路上にムシロを敷いて花火を見たぐらいなので、少し気をつければ子供が駆け足するぐらいのスペースがありました)

そのようにして追いかけた紙人形も、風の吹き具合でたまに隅田川に落ちてしまうことがありました。そんな時はみんなで地団駄を踏んで、ア〜ア〜ッと声を出して悔しがったものです。そういえば、その紙人形もいつの頃からか小さな落下傘にかわっていきました。こんなところにも戦争の影響が出ていたのでしょうか。

余談になりますが、京都御所がかつて火災にあったことがありますが、その火の原因が打上花火の落下傘であったと記憶しています。

    河童の子 花火の晩を 寝そびれる   芳浪

いつまでも花火が隅田川の夜空を彩ることを祈るばかりです。
by komakata-dozeu | 2009-06-01 14:34 | どぜう往来
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