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どぜう往来 三十七号 [平成四年九月発行] のれんと柳 第一話 渡辺栄美(五代目夫人)

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題名の由来と連載開始にあたって

 題名の、のれんとやなぎのいきさつからお話し致します。のれんとは漢字で暖簾のことで、布に店の屋号を書き、店先に下げて日よけにするものですね。昨年、駒形どぜうの浅草本店が創業百九十年を迎えたおりに、その記念イベントとして作家でタレントの永六輔先生に記念講演をお願いしたことがございました。

 そのお話しの中で、永先生はのれんとは禅家で冬の寒い時期に隙間風を防ぐのに用いた垂れ幕がその由来で、これが江戸時代になって商家で部屋の温度を外に逃さないように使われたのが、今日のように広まったものだとおっしゃいました。さらに先生は、のれんとは商家のもてなしの心に通じるものです。とお話しになりました。

 この言葉に私はたいへん感動致しました。と同時にお客様のおかげで百九十年もの長い間、大切なのれんを守ってこられたことに心からお礼を申し述べたい気持ちになりました。題名の対のひとつにのれんとしたのは、もてなしの心をいつまでも忘れないようにと誓っての気持ちを表したものでございます。

 もう一方のやなぎは、柳の下に二匹目のどじょうはいないをシャレて、駒形どぜうには売るほどいますのよの意味もありますが、本当は柳に骨折れ無しの気持を表現したかったのでございます。柔軟なものは堅剛なものにかえってよく事に堪えるの例と国語辞典にはありますが、駒形どぜうの本店横にある柳も現在のが二代目ですが、長い間の風雪に耐えて、毎年、早春には緑鮮やかに芽吹きます。

 私も駒形どぜうに嫁いで六十年になりますが、このずっしりと重いのれんをやなぎのような柔軟でおおらかな心で、従業員や華族と一緒に力を合わせて守ってゆきたいと願っております。そこで、私はこの駒形どぜうで過ごした半世紀をひとつの区切りとして、表題のようなテーマで思い出の記を残しておこうと考えました。

 前々号(35号)で完結した助七思い出話は主人(故五代目)の目から見た駒形どぜうの思い出ばなしを綴ったものですが、その連れ合いである私の駒形どぜうの追憶記を合せ鏡にして、ぜひ皆さんに読んでいただきたいのです。私の追憶記は、三期に大別して書こうと思います。

〈第一期〉昭和十年〜昭和十五年
── 不安な予感の時代 ──
昭和十一年には二・二六事件、昭和十二年には日華事変が始まりました。日本はこれより太平洋戦争へと向かっていくのですがそんな不穏な時代に私は駒形どぜうに嫁いできたのです。

〈第二期〉昭和十六年〜昭和二十年
── 恐ろしい戦時期(太平洋戦争) ──
物統令公布、物不足、どぜう料理ストップ、雑炊食堂開始、東京大空襲、葉山へ疎開、そして戦争終結。
ピックアップした単語だけ見ても、あの暗い嫌な時代を思い出します。でも私には素晴らしいめぐり合いがありました。

〈第三期〉昭和二十一年〜昭和四十年
── 戦後の混乱期〜復興へ ──
仮店舗営業、葉山奮戦記、東都のれん会発足、「はとバス」スタート、柳川鍋誕生、本建築落成。
汗することの喜びと働くことの楽しさがありました。そんな中からいろんなアイデアも生まれました。以上のような構成で話しを進めたいと考えております。
by komakata-dozeu | 2011-09-01 10:00 | のれんと柳
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