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どぜう往来 四十四号 [平成六年五月発行] のれんと柳 第八話 渡辺栄美(五代目夫人)

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葉山の思い出・その四

葉山の別荘から100メートルほど離れたところにアメリカの進駐軍の宿舎がございました。宿舎は、戦時中、日本の警備隊が使用していたもので、いかにも兵舎らしく、灰色の地味な建物でしたが、進駐軍の宿舎になってから、その様相は一変したのでございます。白、青、緑等のペンキを大胆に塗りたくって、まるで遊園地に来たような錯覚を覚えたものでございます。

 この宿舎から毎日のように昼の休憩時間になりますと大勢の進駐軍の兵隊さんが大皿とスプーンを鎖でつないだ食器を手にしたり、腰にぶら下げたりしながら、ガチャガチャと金属音を響かせて私たちの住む別荘にやってきたのでございます。とにかく、アメリカの兵隊さんは明るくて気さくな方ばかりでございました。ガヤガヤと十人前後で連れ立ってやってくることが多いのですが、そんな時は、日本人二世の通訳が必ずと言っていいほど同行致しました。

 あるとき、将校らしき兵隊さんが我が家にやってこられて、若いお手伝いさんを貸して欲しいと頼まれたことがございました。しかしこの通訳さんから婉曲に断っていただいたので安堵したこともございました。また、週間の違いからか、家の中にも靴も脱がずに入り込んでは、ダンスをさせてくれとせがまれたことも何度かございました。別荘には、主人(五代目助七)が大切にコレクションしていたレコードが沢山置いてありました。外国製の蓄音機もございました。兵隊さん達は、ルンバやタンゴ、ラテン系のレコードを取り出しては蓄音機にかけ、踊りに熱中しておりました。私も請われて一緒に踊ったこともございました。そうかと思えば、男同士でステップを踏んでは、指を鳴らしたり、笑い転げたり、まったく陽気な兵隊さん達でした。

 このようにとても気さくな連中でしたので何でも遠慮せずにざっくばらんに頼み事をするようになりました。
「軍服の記章がとれたから付けて欲しい」
「ズボンにアイロンをかけてほしい」
「継ぎをあててほしい」
など、さまざまな依頼があったのでございます。特に土曜日は休日で、兵隊さんが遊びに出かけるので、前日はてんてこ舞いの忙しさで徹夜をすることもしばしばございました。

 そのお礼の意味とでもいうのでしょうか、兵隊さん達からは実にさまざまな物を頂戴致しました。石けんや歯ブラシのような生活用品からビスケットやパン、缶詰などの食料品にいたるまで十分すぎるほど頂きました。食糧難の時代でしたから、これはずいぶん助かりました。なかでも、パンの耳などは、アメリカの兵隊さんは食べなかったので、どっさりと持ってきてくださいました。家では食べきれなかったので、当時飼っておりました庭鳥にやったりしておりました。

 生活用品や食料品などもご近所の方に分けて差し上げたかったのですが、米軍の規則で公には軍の物資は民間人に渡してはならない事になっており、お裾分けすることが出来なかったのでございます。勿論、私も品物ではいただきましたが、現金は一切受け取りませんでした。現金収入を得るには、また別の苦労と知恵が必要だったのでございます。 (つづく)
by komakata-dozeu | 2012-04-01 08:00 | のれんと柳
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