人気ブログランキング | 話題のタグを見る

どぜう往来 二十九号 [平成二年五月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)

どぜう往来 二十九号 [平成二年五月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)_f0193357_10225328.jpg
「子供のころからの相撲好き」

 マスコミ関係者から取材を受ける時に、しばしば「あなたの趣味は何ですか」と聞かれることがあります。七十歳をとうに過ぎた今、趣味と言えるものは何だろうかと、つい考えてしまいます。若いころは、カメラに凝ってフィルムの現像から引き伸ばしまで全部自分でやったり、凧上げに熱中して、青竹を買ってきて丁寧に削り、骨組みから紙張りまできちんと仕上げてタコ糸をつけ、天高く飛ばしたものでした。そんな若輩のころの思い出をなぞっている時に、今でも趣味というより楽しみにしているのが相撲だと思いあたった。

 私は子供のころは痩せていて、背もあまり高い方ではありませんでした。ところが、江戸時代の昔から相撲取りが大勢お客さんとしてお店に来て頂いていたせいか、その大きな体とチョンマゲ姿に驚きと憧れを同時に抱いていたのです。そんな気持ちが自然と私を相撲好きにさせたようでした。だから、尋常小学校の学生のころから仲間を見つけては、校庭の砂場でよく角力をとったものでした。

 ちょっと自慢話で恐縮ですが、子供のころから私は人一倍足腰が強く、当時の同級生にはあまり負けた記憶がありません。とうとう同じクラスでは相手になってくれる人がいなくなり、他クラスの背の高い子や上級生に挑戦したものでした。

 相撲好きは学校から自宅に帰っても同じで、兄達はうるさがったり、勉強に忙しくて、誰も相手にしてくれませんでした。そこで、仕方なく、私がとても可愛がっていた妹の章子を相手にするしかなかったのです。妹は女の子なのでとても嫌がったが、それでも渋々と「オハジキの相手になってくれれば一緒にやってもいい」ということで、ずいぶんと妹を投げ飛ばしては泣かせたものでした。相撲に疲れると、今度は紙相撲をやろうと誘い、二人であきずにトントンと相撲台を叩き合ったものでした。

 余談ですが、妹の章子と私は幼いころから顔がとても良く似ていて、お互いに茶目っ気を発揮して、着ているものを交換しては身につけ、よく人さまから兄弟逆に間違われ、大笑いをしたものです。

 閑話休題。相撲の話に戻そう。
 私はもう年寄りなので今でこそ相撲は取れないが、見るのは好きです。とくに横綱の千代の富士の大ファンで本場所中は、ほとんどテレビで観戦しています。しょっちゅう骨折脱臼していながら、必ず不死鳥のように蘇るあの努力と根性が素晴らしい。とくに角界では、小兵でありながら相手の大男を豪快に土俵に叩きつける、その魅力がたまりません。

 先日、相撲ファンのお客さんと会ったおり、千代の富士に関する面白い記録を伺ったので披露しましょう。それは、相撲の好取組にかかる懸賞金のことです。このスポンサー付の懸賞金は一本四万円と決まっていて、相撲協会への手数料五千円と税金支払い積み立て一万五千円が差し引かれ、行司の軍配から受け取るノシ袋には二万円が入っているそうです。この件賞金獲得のNo.1(1990年当時)が千代の富士なのです。(注:1988年実績でもNo.1)傷だらけの英雄横綱の面目躍如たるエピソードです。
# by komakata-dozeu | 2011-02-01 10:30 | どぜう往来

駒形どぜう 満210年創業記念日

駒形どぜう 満210年創業記念日_f0193357_1593175.jpg1月20日(木)、駒形どぜうは満210年の創業記念日を迎えることとなりました。
これもひとえに皆様のご贔屓の賜物と心より感謝いたしております。

感謝の印としまして、1月20日(木)にご来店いただいたお客様には記念品を用意させていただきました。
ご来店のほど、心からお待ち申し上げております。

※記念品は無くなり次第終了とさせていただきます。
# by komakata-dozeu | 2011-01-17 19:00 | 駒形どぜうからのお知らせ

どぜう往来 二十八号 [平成二年二月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)

どぜう往来 二十八号 [平成二年二月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)_f0193357_18422968.jpg
「駒形どぜう流QCの話」

 人材という言葉が最近は毎日のようにマスコミに登場します。企業のキーワードは、いかに有能な人材を沢山集めるかにかかっているようです。これは当店のような飲食サービス業も条件は同じで、毎年、いかに優秀な人材を多く集めるかに腐心しているのです。

 ただし、大学卒や高校卒の優れた人材を採用しても、その時点では、彼等は宝石に例えれば、まだ原石にすぎません。原石の価値を高めるには、時間をかけてじっくりと磨かなければならないのです。まさに“珠磨かざれば、光なし”なのです。この磨きにあたるのが企業内再教育でしょうか。

 駒形グループでは、息子の渡辺孝之(現社長)が人材育成のために企業内再教育に力を入れており、この業界でもかなり早い時期にQC(品質管理)を導入し、社員教育を行っています。社員全員に課題を与え、それぞれが本を読んだり、講演を聴いたり、検討会(QCサークルなど)を聞いて、課題解決のために日夜頑張っています。そして、年に一回社員全員が参加してQCサークルの発表会を開催し、その成果を競い合うのです。

 駒形グループでは、高卒の人材は主に東北地方から採用していますが、入社当初は方言など言葉のハンディキャップからか、人前ではもじもじとして無口な人が多いが、QCサークルに入ると純粋さと持ち前の粘り強さを発揮してハンデを克服してしまいます。入社一、二年もすれば全員が人が変わったように変身してしまうから驚きです。ブレーンストーミングだの、特性要因分析(フィッシュボーン)だの専門の用語をマスターして、堂々と発表する姿は見事です。故郷の両親も子供の逞しい変身ぶりに少なからず驚き、感謝されることも多くあります。

 手前味噌が続いて恐縮ですが、とてもユニークだと自負しているのが、二年に一回のサイクルで行う海外研修旅行です。当グループの各店の店長クラスが三十名程集まってグアム島や韓国で研修を行います。四泊五日の日程が普通で、そのうちレジャータイムは一日だけ。あとの三日はホテルの宴会場やミーティングルームを使っての研修です。何班かに分かれて、QCを中心に勉強会をしますが、なにしろ歴戦の強者揃いだけに議論が沸騰して徹夜になることもしばしば。そして、この研修会を通じて参加者の団結も深まり、まるで戦友のような仲間意識も芽生えるようです。

 ここまで書いてきて、私も息子に負けずに昔(昭和初期)QCサークルのようなことをやったと思いあたりました。それは、いうならば「寺子屋式QCサークル」です。昔は、貧しい農家の息子が従業員として当店に入ってくることが多かったせいか、尋常小学校もまともに卒業してない同情すべき人が結構いました。そこで、それらの人達のために店の二階を解放して外部から先生を招き、「読み、書き、ソロバン」を学んだのでした。前号でもふれたように、昼間はどうしたら早くご飯が炊けるか、ネギがきちんと切れるか、味噌すりが無駄なく上手にできるかなどを実業で学び、夜は寺子屋塾。これも一種の古典的なQCサークルではないでしょうか。
# by komakata-dozeu | 2011-01-01 08:00 | どぜう往来

どぜう往来 二十七号 [平成元年十一月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)

どぜう往来 二十七号 [平成元年十一月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)_f0193357_10143265.jpg
「お梅どんの話」

  数年前に、昔、駒形どぜう(浅草本店)で働いていただいた人たちに集まってもらって「駒形どぜうの思い出を語る」座談会を開いたことがありました。後世のために、店の昔の記録を少しでも多く残しておこうと思ったからです。

 その中のひとりにお梅どんがいました。お梅どんは、昭和二年に、まだオカッパ頭の愛らしい小学生の頃に駒形どぜうに奉公人として入り、終戦の年の昭和二十年までお店のために一生懸命に尽くしてくれた方です。

 お梅どんがどぜう屋の入口に立った昭和二年頃の世相史を紐解くと、こんな世の中でした。浅草オペラや演歌が衰退し、代わって民謡ブームがおこり、中でも、どじょうすくいで有名な安来節は各地で興行が行われて大変な人気を博していました。また、銀座通りには、断髪のモダンガール(略称モガ)も現れて、当時の人々を驚かせたものです。世の中は、第一次世界大戦後の不況で金融恐慌が吹き荒れる中で、華麗な出来事が起こりました。後に新協劇団の演出家、杉本良吉と樺太国境を越えてソ連に逃避行した日活女優の岡田嘉子が、この時(昭和二年三月)は男優の竹内良一と映画の撮影中に駆け落ちしたのです。しかし一方では、そんな情熱的な出来事の話題が人々の口から消えぬ同じ年の七月には、作家の芥川龍之介が滝野川の自宅で遺書四通を残して劇薬自殺をとげるショッキングな事件も起こっています。

 その頃、私はまだ二十代の初めで、晩年の父(四代目助七、昭和三年死去)を助けて、それこそコマネズミのように動き回っていました。お梅どんによると、その当時の従業員は誰でも忙しくて、座って食事をする時間がなく、口にご飯をほおばっては立ち働いたと語っています。なにしろ、お店も年中無休で、従業員も二ヶ月に一回交代でやっと休みが取れるほどの忙しさだったのです。

 そんな忙しさの中でも、結構楽しみはありました。一日に1000人のお客さんが入ると店では、従業員全員に大入り袋を出したり、また、今流行の店内ミニイベントを私が企画してやったりもしました。それは、例えば、私が音頭をとってソロバン自慢の従業員を集めて暗算大会を開いたり、ゴボウかき競争や、飯早炊き競争など仕事の進歩に繋がるものを取り入れて大いに技を競ったものです。勿論、勝者には当時喜ばれた着物や、角帯などを贈呈しました。このミニイベントは、店にとっては、従業員の技術やサービスの向上をはかれると同時に、働くものにとっては、いっときの慰安になるという一石二鳥の企画であったと自負しています。

 さて、お梅どんに「当時、どんなお客さんがお店に来たのか覚えている人がいますか」と尋ねてみました。
 「そうですね、呑気な人もいましたよ、ぐうたら飲んでいて、そのまま半日ぐらい店で眠ってしまう人もいましたよ。」
 「そうそう、午前中は朝早い八百屋さんとか芸能関係の人が多かったようですね。講談の神田伯山や、大島八角、八角師匠はよく相撲取りを何人も連れてやってきました。落語家では先代の三遊亭金馬さん、金馬師匠には一度大変叱られましたよ。『鍋がコゲちまうから早く割り下を持って来い』ってね。」
 「それと思い出に残っているのが、やはり落語家の先代の柳家小さん、師匠は泣き上戸でね、お酒を飲むと一目もはばからずにオイオイと泣いていましたよ。でも、ちゃんと落語のネタを探しているようですから感心ですね。」
 お梅どんの話は、なかなか尽きそうにありません。
# by komakata-dozeu | 2010-12-01 10:00 | どぜう往来

どぜう往来 二十六号 [平成元年十月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)

どぜう往来 二十六号 [平成元年十月発行] 助七思い出話 五代目 越後屋助七(渡辺繁三)_f0193357_1055217.jpg
「千駄祝い」

 最近は新聞を読んでも、テレビを見ていてもやたらに横文字が多く出てきて戸惑うことが多い。日本は世界一の情報集積基地だと言われるが、それだけに新しい言葉もどんどんと海外から入ってくるのだろう。海外から新しい言葉や習慣が持ち込まれるのと反比例するかのように、日本の古い文化や好ましい習わしが消えていくのが残念でたまらない。そのひとつの例として「千駄祝い」の話をしましよう。

 ちょっと説明が長くなりますが、今から五十年前、私がまだ三十歳そこそこの頃、大蔵省の滝野川醸造試験場で勉強ののち京都の若井酒店に住み込みで修行し、酒造りのイロハを学んだことがありました。「若井さん」を紹介してくれたのは、こことじっこんの間柄であった家内の兄(京都白味噌「本田味噌」経営)でした。特に、若井のご主人から教えを受けた点で感銘深かったのは、酒造りの親方と云われる杜氏についてでした。

 杜氏には次のような資質や条件が必要不可欠であるといいます。それは「豊かな経験、頭脳明晰、人格円満、品行方正、身体強健」の五つです。私はこの言葉を伺い、自分も及ばずながらこの五つの条件を目標に頑張ろうと密かに誓いました。話がそれたので、本論の千駄祝いの解説をしましょう。

 若井さんでの一ヶ月の酒修行を終えて、私は東京に戻ることになりました。京都を去るにあたって、私はこんなにも良心的で旨い日本酒を作ってくれる造酒屋はそうあるまいと確信し、駒形どぜうでもお客さんに出せば喜ばれるだろうと思い、酒を売ってほしい旨頼みました。今から五十年前といえば、第二次世界大戦の始まる少し前です。その頃の日本の世相は、中国大陸(旧支那)との戦に疲弊し、国民は元気なく、景気もあまり良くありません。従って日本酒もふんだんに作れる状況ではなく、蔵元自身が小規模の造酒屋であったために、酒は得意先へのごく限られた量しか醸造しなかったのです。私は半ば諦めていましたが、若井の主人は千駄も融通してくれたのでした。(筆者注→駄とは馬一頭にのせるだけの荷物を数える言葉で、一駄とは一斗樽で二樽のこと。したがって千駄とは二千樽の日本酒のこと)

 私は予期せぬ沢山の日本酒を仕入れることができて、小躍りせんばかりに喜びました。私はこんな貴重な日本酒を千駄も都合つけてくれた若井の主人に感激して、何かお礼をしなくてはいけないと考えました。
 「そうだ、昔から商いの道のひとつの感謝のケジメになっている千駄祝いをやろう」と心に決めたのです。祝いの品物をいろいろ考えた結果、当時は大変高価であった十八金の菓子器を徳力本店に特注し、桐の箱に収め、それを感謝の気持ちとして若井さんに贈ったのでした。

 後日、家内の京都の兄から伺ったところによると、若井さんのご主人は、この思いがけない贈物に大層ビックリされ、思わずウーンとうなり、さすがに江戸っ子や、いい気っ風してはるわ、と感心しておられたといいます。
 これは、今でも宴席などで京都の兄がする私の自慢話です。イベントばやりの今日、千駄祝いのようなハレの日の習わしも残しておいて欲しいものです。
# by komakata-dozeu | 2010-11-01 11:00 | どぜう往来